ひるがの獅子舞保存会

私たちは、岐阜県郡上市高鷲町ひるがの高原で活動する”ひるがの獅子舞保存会です”

ひるがの獅子舞の最近

CBCテレビ、「そこが知りたい 特報坂東リサーチ」に出演

6月23日放送分「ひるがのぶらり旅」で、獅子舞保存会が紹介されました。
5月下旬に坂東さん、久本さん、テレビスタッフが練習場所に訪れ、練習風景や、インタビューの撮影を行いました。
ひるがの獅子舞の歴史や、獅子舞をテレビで広くお伝えすることができました。

ひるがの獅子舞のあらまし

ひるがの高原は、戦前まではほとんど人が住んでおらず、戦後の開拓によって発展してきました。したがって、獅子舞はもちろん、神社もありませんでした。
ひるがの白山神社が誕生したのは昭和33年。白山長滝神社から御神体をいただき、祭具等は大野郡白川村尾上(当時)から譲り受けました。
これは当時、御母衣ダム建設に伴い水没することが決まっていた同地区が、神社の貰い手を捜していたところ、ちょうどひるがのでも”神社をつくろう”との気運が高まってきていたところでした。そのときは尾上の方々が引越し等で忙しかったため、獅子舞を譲り受けるまではいきませんでした。
昭和49年になり、ひるがの高原は、中京圏から近場のリゾートとして開発が進み、観光地として名が知られるようになって来ました。そのころ、ひるがのを引っ張っていた団体“やろう会”のメンバーにより、獅子舞を譲り受け、習い、そして奉納したのがはじまりでした。

ひるがの獅子舞のルーツ

ひるがの獅子舞は、『むかで獅子』『けんか獅子』とも云われています。
 獅子頭の前で、花取りという子役が獅子と掛け合いながら舞う獅子舞は加賀獅子の流れを汲み、富山地方(特に氷見獅子)を基に庄川水系の部落を遡ったものと云われております。
また、獅子だけで舞うもの(飛び獅子・へんび取り)は飛騨地方から入ってきたものと云われています。
 庄川水系の獅子舞は、平家の落人がはじめたという俗説があり「京ぶり」「京かぶり」などは、落人がはるか都を偲んで舞ったといういわれがありました、もう一説には、加賀百万石の前田家は外様大名であったが、いつ徳川幕府の取り潰しに合うか判らず、農民に武装させる意味で、この勇壮な獅子舞を奨励したという説もあり、この説のほうが、信憑性が高いといわれています。


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